レンゲソウローダンセ

田舎に暮らしています

家庭菜園とブログ

私は家庭菜園で植物を育てるのが好きなのですが、インターネットでブログなどを書いてると同じように最初は全く反応がないのにだんだんと人が訪問するようになってきて読者が増えていくというのは何とも言えない快感です。

少しずつ丁寧に育て上げた何かがその数ヶ月後に花を咲かせてくれるというのは努力が報われた証だしそれに続けることによってこうやって結果が出てくるというのは何よりもやりがいです。

私が育てているイチゴの苗も一時期は枯れそうだったものもありましたがだんだんと元気を取り戻し濃い緑色の葉っぱをたくさんと携えるようになってきたので、頑張って努力をしてきてよかったという風に思います。

やっぱり何かが育ってるのはこの世の中の基本だしとても嬉しいことでもありますよね。

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それ相応の生活

いつも誰かのことを羨ましがったり誰かのことを憎んだり怒ったりしていましたがそういう生活をしていたから私にはそれ相応の生活しかありませんでした。

私は本当に20代の頃から30代の前半にかけては物事の考え方をすごく間違っていたような気がします。

そうではなく自分自身が朗らかに気持ちを明るくして毎日を過ごしていることによって私にはそう自然とそういう未来がやってくるようになります。

実はこの世の中で幸せになるにはそんなに難しいことじゃなくてとにかく毎日明るく元気に過ごしていることによって自然とそのような生活になってきます。

このとても簡単でシンプルな法則を実はほとんどの人が気がついていません。

気が付いていても心から納得していないため実践を仕事してない人がほとんどです。

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背後に玄徳

人間は背後に玄徳を西大井眼前に精錬という行為を行いつつ生きているんだと思います。セイレンは仕事や遊びにおいででありそれは想像や楽しみにおいて人工的成果を得ようとすることです。それはある場合には誇りとなり生きがいともなるものです。それは自己重要感を満足させるものでありそれはそれなりに人間が生きていくために重要な要素でもあります。しかしこのセイレンもその度が過ぎると背後の玄徳が失われることになるのです。一例を示しましょう。玄米の表面のかんぴにはビタミンやミネラルが含まれておりこれを精白してつまり削り取って口当たりの良い白米にすることは清錬にあたります。この意味でグルメとは料理でこの精錬の極致を目指してるものと言いましょう。