レンゲソウローダンセ

田舎に暮らしています

背後に玄徳

人間は背後に玄徳を西大井眼前に精錬という行為を行いつつ生きているんだと思います。セイレンは仕事や遊びにおいででありそれは想像や楽しみにおいて人工的成果を得ようとすることです。それはある場合には誇りとなり生きがいともなるものです。それは自己重要感を満足させるものでありそれはそれなりに人間が生きていくために重要な要素でもあります。しかしこのセイレンもその度が過ぎると背後の玄徳が失われることになるのです。一例を示しましょう。玄米の表面のかんぴにはビタミンやミネラルが含まれておりこれを精白してつまり削り取って口当たりの良い白米にすることは清錬にあたります。この意味でグルメとは料理でこの精錬の極致を目指してるものと言いましょう。